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【歌詞考】点と線のイメージ キリンジ "Love is on line"

 

DODECAGON

DODECAGON

 

  2006年発売のキリンジの6thアルバム『DODECAGON』に収録された「Love is on line」は、そのタイトルの通り、オンライン(インターネット)の恋愛を歌った楽曲である。発売された2006年はmixiの全盛時代だったが、それ以外にもフェイスブックスカイプ、出会い系サイトなど、様々な「つながり」を提供するサービスがインターネット上に溢れていた。それから10年経った2016年現在では、その名も「LINE」と呼ばれるサービスを誰もが利用している。SNSが一般化しネットを介した恋愛が当時よりも当たり前になっている昨今にあっても、それをテーマにした楽曲が少ないように思われるのは、「顔も見たことのない人を求める」という情動のあられもなさを公にすることの後ろめたさがあるからだろう。その点、堀込高樹の筆によるこの曲は、その情動の「あられもなさ」や「後ろめたさ」を請け負いつつも、エゴイスティックに誰かを求めることでしか恋愛は始まらないのだと言わんばかりの大胆さで、オンラインの恋愛を詩情たっぷりに描ききっている。

 

まずは冒頭の一節から見てみよう。

キリンは立って寝る

鳥は枝で寝る

ヒトだけが眠れない夜は長く

この余りにもそっけなく人を喰ったような歌い出しで示されるのは、人間も「キリン」や「鳥」と同じ「動物なのだ」という事実である。それは「キリン」や「鳥」と並置されて、人間が「人」ではなく「ヒト」と表記されることで示される。「あられもない情動を持つことに対する後ろめたさ」を持ってしまう理性的な人間に対し、堀込高樹はこの冒頭の一節でさりげなく人間の動物としての側面を差し出す。と同時に、人間は動物と違って「眠れない」ことも提示する。キリンの首も長いが、ヒトの眠れない夜も長いのだ。次の一節。

君は女ですか

女の振りかな

すれ違ったなら振り向いてね

鼻緒が切れたら叫ぶんだよ

僕の袖を千切って結べばいいだろう

果たして恋する相手の性別を疑う歌詞がこれ以前の日本の歌に存在したことがあるだろうか(おそらくない)。「君は女ですか」というのはそれだけ大胆なフレーズだと思うのだが、何のことはない、ネット恋愛にはつきものの「ネカマ」のことを言っているだけである(とはいえこの「君は女ですか」の異物感ときたら‥)。次に話は一気に飛躍する。「モニター上の相手は本当に女なのか?」と訝りつつも、「鼻緒が切れたら叫ぶんだよ、僕の袖を千切って結べばいいだろう」 だなんて、些かヒロイックな妄想が過ぎているではないか。会ったこともないのに。女かどうかもわからないのに。しかし、この切実さを帯びたフレーズは寧ろ、関係が断ち切られないことに対する祈りにも似た響きを感じさせる。そんなことを考えてしまうような切実な長い夜の経験は実は誰しもが持っているのではないか? 歌はそのままサビになだれ込む。

Love is on line, Love is on line

光る朝の訪れを待とう

Love is on line, Love is online

二人は蜘蛛の糸を渡る夜露さ

 これまでの大胆さ、きわどさから一転し、ここで一気に詞が繊細さを帯びる。「君は女ですか?」と訝りながらも「袖を千切って結べばいい」と妄想する恋愛は、まさにいつ断線するともわからない「蜘蛛の糸」なのである。いつ相手が「男でした」とカミングアウトするかもわからないし、いつネット回線が断線する(鼻緒が切れる)かもわからない。あるいはいつ自分や相手の気持ちが冷めてしまうかもわからない。ふたりはそんな不安定な「蜘蛛の糸」を渡る頼りない「夜露」であり、断線せずに朝になればひとつの雫に溶け合うことができるのかもしれない。Love is on line, 愛は常に不安定な線の上にあるのだ。

 

2バース目。

新聞配達が廊下を走り抜けた

指先から伝わる愛を感じてるんだ 

フォントが滲む

あやとりをするように

睦みあうのなら

ここでも点と線のイメージが効果的に使われている。無為に過ごした眠れない夜も気づけば朝に近づいていることを廊下を走る新聞配達の忙しない足音が告げる。それに気付きながらもモニター上の愛の睦み合いは今まさにクライマックスを迎えようとしている。キーボードを叩く十本の指先は空間を超えて相手の十本の指先と繋がる。オンラインでキーボードを叩き合うふたりの指先が「あやとり」に例えられる、非常に美しい一節である。頼りない点と線は心なしかそこはかとない力強さを感じさせる。

Love is on line, Love is on line

心はもう通い合っている

Love is on line, Love is on line

二人は蜘蛛の糸を渡る夜露さ

 「心はもう通い合っている」と言い切ってしまうことに早急さを感じさせながらも、少しずつその予感があることが示される。「二人は蜘蛛の糸を渡る夜露さ」というパンチラインがもう一度。

 

ブリッジ部分。

言葉の泡を掻き分けていく

僕は何を探しているのだろう

 ここで初めて「僕」の逡巡が示される。くだけた言い方をしてしまえば「何やってるんだろう、俺」というところだろうが、次の一節でそんな小さな自己嫌悪を超えた高みに達する。

君ひとりに巡り会いたいのさ 

女であるのか、女の振りをしているのかと訝っていた相手のことを確信めいた「君ひとり」と指すということ。それはあの人かもしれないしこの人かもしれない。矛盾しているようだが、それでもそれは一つの点を指していることには変わりない。

Love is on line, Love is on line

心はもう通い合っている

Love is on line, Love is on line

二人は蜘蛛の糸を渡る夜露さ

Love is on line, Love is on line

君は僕を見つけられるかな

 Love is on line, Love is on line

二人は蜘蛛の糸を渡る夜露さ

高らかに歌い上げられる最後の一節は、不安定さの中にあっても「信じること」が 愛の本質なのだと力強く言い聞かせているようである。

 


キリンジ LOVE IS ON LINE

最近の収穫(9月後半-②)

ティーンエイジ・ファンクラブ『ヒア』

ヒア

ヒア

 

 ティーンエイジ・ファンクラブの新作。何でも6年ぶりの新作であるらしいが、特にその点に感慨を得ないのは自分にとってTFCが「新作が楽しみなバンド」ではないからだろう。もちろんTFCは大好きなんだけれど、TFCの音楽というのは革新性とは無縁で、次にどんなことをやってくるんだろう、みたいなワクワクが全くないバンドなのである。それなのに新作を買ってしまうなんて、よっぽど俺はTFCが好きなんだろう。今作においてもTFCの音楽に何も目新しさはない。TFCを知らない人にTFCのアルバムを全部聴かせて年代順に並べさせるゲームをやって全部完璧に当てることができたら、俺の持っているTFCの音源を全部あげてもいい。それくらい何も新しさがない。

しかし、である。この新作から聴こえてくるのは、決して変わらない、揺らぐことない美しいメロディーと歪んだギターと優しく切ない歌声である。無意識に忙しなく刺激を求めてしまう自分を一瞬で忘れさせてくれる時間が針を落とした瞬間に始まる。考えてみれば不思議である。俺はずっとTFCの音楽は日常に寄り添う音楽だと思ってきた。今日のような雨の降る日に聴いてみると少しだけ憂鬱を和らげてくれるような、あるいは小春日和に聴いて気分を少しだけ浮つかせてくれるような、そんな音楽だと思っていた。否、正確に言えばこれまではそうした側面しか聴いてこなかったのだ。初めて彼らの音楽を聴いてから大分経って自分も年を取った今になって思うのは、この音楽は実は決して「普通の」音楽などではないということだ。つまり、苦楽交々の人生を普通の顔をして生きるのは難しいはずなのに、こうして「普通に良い音楽」に昇華し続けてしまう彼らの懐の広さはどう考えても普通ではないということ。彼らの「普通に良い音楽」はあまりに自分の日常からは遊離している。だからこそ尊く感じ、胸を痛め、そこに近づきたいと思うのである。

最近の収穫(9月後半)

・ブラッド・オレンジ『フリータウン・サウンド』 

フリータウン・サウンド

フリータウン・サウンド

 

 11月に来日するブラッド・オレンジの新作。前作『キューピッド・デラックス』も名作だったが、今作もそれに優るとも劣らない良い作品である。各曲の間にラジオをチューニングしているようなスキットめいた具体音が入っていて、それが良いアクセントになっており、『フリータウン・サウンド』と銘打たれたこの作品が「街の音楽」なのだということを強く感じさせてくれる。メインでボーカルを取るのはもちろんデヴ・ハインズなのだが、多くのゲストボーカルが参加しており、その点はデヴ・ハインズのプロデューサー気質の面目躍如というところ。それによってポリフォニックな街の表情が浮かび上がってくるような仕様となっている。「フリータウン」というのは彼の父の故郷、西アフリカのシエラレオネの首都のことなのだそうが、そのことから想像させられる彼のルーツへの遡行という個人的なテーマは決して閉じられたものではなく、多くの人に共感を持って開かれたものなのだということがこの音楽からは伝わってくる。それはこの音楽がR&Bを基調としながら決してひとつのジャンルの模倣ではなく、ときには80sのニューウェーヴのような響きを持ったり、ときにはベッドルームポップスのような響きを持ったりする音楽的な多様性を包摂している点、そしてどこまでもアーバンでありどこまでもプリミティブであるという相反した印象を持っている点に由来しているだろう。

話は逸れるが、彼のパフォーマンスをユーチューブでみたときまるでジミヘンのようにギターを弾きプリンスのように歌う男だなと思ったのだった。何れにしても今年の超重要盤。来日公演が今から楽しみです。