音楽の生まれる瞬間に立ち会うージョン・カーニー『はじまりのうた』


『はじまりのうた』予告編 - YouTube

 

 何かが生まれる瞬間に立ち会うのは何ともわくわくする出来事だ。友情が生まれる瞬間。恋が生まれる瞬間。命が生まれる瞬間。映画は限られた時間の中でそうした瞬間を切り取って提示しようと試みる。人生の中では得難い「特別な瞬間」を体験するために観客は映画を観る。ジョン・カーニー監督の『はじまりのうた』は、そうした観客の期待にさらりと応えたかのように「音楽が生まれる瞬間」を演出した素晴らしい映画だった。

 映画は小さなバーでギターを片手にステージに立つ友人の男スティーヴ(ジェームス・コーデン)から声をかけられた女が無理矢理ステージ上に引っ張りだされ、歌を歌わされるシーンから始める。その女グレタ(キーラ・ナイトレイ)はぶっきらぼうに「新曲だからまだ粗っぽいけど」というようなことを話すが、観客はまるで聞いていない。そんな中で彼女が歌ったのはこんな歌だ。気がついたら地下鉄にいた/バッグを横に自分の世界に浸る/一瞬、良案に思えた/もう終わり/どうにもならない/列車が迫り来る/線路をつたい/痛みが消えて/真っ暗になる/最期の心づもりはできた?/一歩を踏み出す/もう戻れない」恋人でミュージシャンとしてのパートナーだった男デイヴ(アダム・レヴィーン)がレコード会社に買われ別の女と駆け落ちをされた彼女の心情を表した歌だろうか。歌が終わりまばらな拍手が起きる中、酔い潰れて足元をよろめかせながらも立ち上がり、天啓を受けたようにステージを見つめる男がいた。それがもうひとりの主人公ダン(マーク・ラファロ)である。

 映画は時間を遡り彼の一日を写し始める。彼は別居状態の妻ミリアム(キャサリン。キーナー)とひとり娘バイオレット(ヘイリー・スタインフェルド)がいる父であり、音楽プロデューサーである。その日ダンは音楽に興味を持ち始めていた娘を会社に連れてくる。普段父親らしいことをしていない男のせめてもの振る舞いであろう。彼は娘の年齢すらろくすっぽ覚えていない。しかしあろうことか、そんな日に彼は社の方針との対立が沸点に達し激しく口論した挙句、その場で馘を宣告されてしまう。自分で設立した会社にも関わらず、だ。会社を追い出され娘と別れた彼は酒を飲み散らし地下鉄に乗る。電車内で宗教の勧誘をする男の言葉に耳を傾け自嘲的に笑い、最後に辿り着いたバーのカウンターで酔い潰れていた。ステージではアコギを片手にした小太りの男が「友人」と呼ぶ女を無理矢理ステージに引き上げて、歌を歌わせようとしている。ステージに上がった女はぶっきらぼうに「新曲だからまだ粗っぽいけど」というようなことを喋り、歌い始める。彼女が歌った歌はこんな歌だった気がついたら地下鉄にいた/バッグを横に自分の世界に浸る/一瞬、良案に思えた…」

 ベタな展開だとは思った。会社を馘になって絶望した男がたまたまバーで聴いた歌が、地下鉄で自殺をしようか思案する人間の歌だなんて。しかし、そこで不器用に爪弾かれ歌われた歌はたしかに感動的なものであった。それはダンの視点で捉えられた彼女の歌が、先に映し出されたシーンとは全く異なるものだったからだ。彼女の歌に耳を奪われたダンの視点で映し出されたその歌は、セカンドコーラスから彼の脳内で鳴り響くアレンジがステージ上の無人の楽器たちードラム、ピアノ、ベース、チェローによって自動的に奏で始められたのである。誰も聴いていない歌が発見され彩りを与えられる瞬間。まるで音楽が生まれる瞬間に立ち会っているようで感情が揺さぶられるシーンだった。
 その後、ダンは彼女を説得しアルバム作りに奔走する。ダンにもグレタにも金銭的な元手はないが、PCと編集ソフトと場所さえあればいくらでも録音できる」彼らはくすぶっているアマチュアミュージシャンたちを集め、地下鉄構内やビルの屋上など公共の場所でゲリラ的に録音を開始する。グレタの歌の原石がダンによって次々に色が与えられていく。その過程で、前述したような「音楽が生まれる瞬間」が次々と画面に映し出されていく。それは例えば、かつてダンが手掛けて成功を収めたラッパーのトラブルガム(シーロー・グリーン)の豪邸を訪ね、協力を請うシーン。ダンとの再会を喜ぶトラブルガムの言葉は次第にリズムに乗りフリースタイルラップとなり、終わりにこう言う「なかなかいい出来だったろ?メモはしていたか?」。思わずニヤニヤさせられるシーンだ。また、ダンは娘のバイオレットをギタリストとしてレコーディングに参加させようと画策するのだが、ダンは娘の技量を知らない。妻に聞けば「ヘタクソ」だと言われてしまうのだが、ダンは娘と妻を現場に呼び「入れるところで入ればいい」とバイオレットを説得。バイオレット自身も初めてのレコーディングに腰が引けていたのだが、そのとき恐る恐る鳴らされたギターソロは次第に力を帯び、音を鳴らして自己を解放する喜びに満ち満ちたものとなった。音楽を媒介としてミリアムとバイオレットにも笑顔が戻る。

 ダンもグレタも言ってしまえばありきたりな傷を負った人間である。しかし彼らは決して安易にその傷を癒そうとはしない。いや、できないのである。グレタがデイヴの浮気を知ってスティーヴの部屋に転がり込んだとき、彼とセックスをしてしまうことは簡単であった。その代わりに彼らはデイヴへのメッセージソングを共作しデイヴの留守番電話に吹き込む。あるいはダンが音楽を捨てて別の仕事に就き家に帰ることで、妻と娘との関係を修復しようと試みることも簡単であった。その代わりに彼は前述したようにバイオレットをレコーディングに参加させる。ダンもグレタもありきたりに不器用な人間であり、簡単に複雑な人間関係や心の傷を本質的に癒すことは出来ないことを知っていた。だから彼らは音楽を媒介とするのである。彼らのような人間にとって特別な瞬間は音楽が生まれる瞬間にこそ宿る。レコーディングを終えて二股イヤホンジャックで同じ音楽を聴きながらニューヨークの街を闊歩するダンとグレタのあいだに恋が芽生えなかったのは、そうした倫理に従って生きているふたりを描いた映画として極めて正しい選択であったように思う。

 

はじまりのうた-オリジナル・サウンドトラック

はじまりのうた-オリジナル・サウンドトラック