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ダニエル・ヒベイロ『彼の見つめる先に』

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唐突だが、映画の中のキスシーンが好きだ。生々しければ生々しいほどいい。キスシーンがよく撮れている映画は大抵いい映画だと思っている。理由は簡単。キスシーンにドキドキさせられるのはそれまでの過程がよく出来ていたことの証左だから。もちろんキスシーンにドキドキさせられない映画がダメな映画だとは言わない。映画にはそれぞれのテーマがある。しかし、殊恋愛映画においてはキスシーンは物語のひとつの結節点であるからして、そこで白けてしまうような映画はやはり好きにはなれないのだ。 

さて、先日ユーロスペースでダニエル・ヒベイロ監督『彼の見つめる先に』という映画を観たのだが、この映画のキスシーンがなかなかよかったのである。おおお、そこまでしちゃうのか?という驚きと恥じらいを客席で共有しているように感じたのはもしかしたら錯覚かもしれないが、少なくとも自分はドキドキしていた。キスをしたのはレオとガブリエルというふたりの少年である。男同士がキスをするというのは決して珍しいことではないが、どうして自分はそれにドキドキさせられてしまったのか?それを考えるとやはりそれまでの過程の描写が上手かった、ということに尽きるのだ。

この映画の主人公は生まれつき盲目のレオである。彼には世話焼きをしてくれるジョヴァンニというキュートな幼馴染みがいる。毎日の下校には彼女が付き添って家まで送り届けてくれるのだが、ある日彼らのクラスに巻き毛のガブリエルが転校してきてから関係性は徐々に変わっていき亀裂が生まれていく。と言ってもガブリエルが悪いやつだったのではない。彼がいい奴過ぎたのだ。盲目であることに偏見を持たないガブリエルは、クラスのなかで常にからかわれているレオと彼の庇護者であるジョヴァンニと自然と仲良くなる。ある日授業の課題で同性同士でペアを組まされることになるのだが、レオとガブリエルは自然とペアになり、必然的に一緒に過ごす時間が増えていく。そこで先に書いたように盲目のレオに偏見を持たず、いささか天真爛漫なガブリエルは、レオを映画に誘ったり月蝕鑑賞に誘ったり、普段クラシックしか聴かないレオにベルセバの音楽を聴かせたりする(ここでダンスのステップをガブリエルに指南され恐る恐る不器用なステップを踏むレオの姿が何とも微笑ましい)。過保護な両親と幾度となく衝突しそこからどうにか抜け出したいと留学まで思案するレオにとっては、ガブリエルとの遊びはこれまでに経験したことないような刺激的なものだった。いわばガブリエルは「ここではないどこか」の夢を見せてくれる存在なのである。そんなガブリエルのことをレオが好きになっても何ら不思議はない。

一方でジョヴァンニは急速に仲を深めていくふたりに嫉妬を感じていた。映画の冒頭において彼女はプールサイドでレオに「ロマンスを待ち望んでいる」ことを語っていたが、彼女も普通のティーンエイジャーなのだ。盲目のレオと彼を庇護するジョヴァンニという完璧だったふたりの関係に突如として現れたガブリエルという存在。彼の登場によって彼女の心は揺らぐ。とはいえ、彼女はガブリエルに恋をしたのではない。あるいはレオに恋をしていたのでもない。彼女はレオに対してでもガブリエルに対してでもなく、ロマンスを欲するがゆえにふたりの関係性そのものに嫉妬していたのである。彼女はふたりと近しい存在だったが、彼らのどちらかとも恋に落ちる決定打はなかった。レオと対比して言うならば彼女は見えすぎていた、ゆえに自身が見えずにいたのである。ただ取り残されていく自分に彼女は苛立ち、揺らぐ。自分だけが守っていたはずのレオが気がつけば遠くにいる。しかも恋をして輝いている…。彼女の嫉妬という感情も至極自然なものである。ヤケ酒をして、曖昧な感情を抱えながらもガブリエルにキスをせずにはいられない姿がなんとも可愛らしい。(余談であるが、盲人と保護者の共依存的な関係に闖入者が現れることによって完結していたふたりの世界が複雑さを呈して崩れていく、という構図は増村保造の『盲獣』と全く同じである。尤も『盲獣』の場合、物語的には、共依存関係を極限までに突き詰めた末の破滅、という点にのみフォーカスを当てたストイックな作品だったので、『彼の見つめる先に』と並べて比べるのはかなり無理があるかもしれないが。)

今回わたしがこの映画を観たのは毎年開催されているブラジル映画祭での上映だった。同性愛と視覚障害という二つの特徴的な題材を扱いながらも、それらを思春期の性の目覚めと心の揺らぎというテーマに落とし込むことで、何とも瑞々しく普遍性のある作品として仕上がっていた。おそらく多くの人がそうであったように、観に行ったきっかけは「ベルセバの音楽が使われているから」なのだが、この映画の訴求点は決してそれだけでない。さらに言えば同性愛や視覚障害を扱っているという点でもない。それらは単なるスパイスとして映画を引き立てるためのものであって、『彼の見つめる先に』はそうした題材に興味がなくても観客を取り込むことができるだけの力を持っている。この愛すべき青春映画がどうか今後一般公開されることを望むものである。

 

わたしのなかの悪魔

わたしのなかの悪魔

 

 劇中で使用されている「There's Too Much Love」が収録されているのがこちらのベル・アンド・セバスチャンの4枚目。ガブリエルのお兄ちゃんのよう途中で寝てしまうことが多く、いつも最後の曲まで辿り着けていなかったわたしですが、改めてちゃんと聴き直して曲の素晴らしさに落涙しております。