MOODYMANN『DJ-KICKS』

DJ-KICKS [帯・日本語解説付国内仕様盤]

 

ムーディーマンのDJを聴いたことは2度あって、どちらも今は開催されなくなってしまったメタモルフォーゼで聴いたのだが、中でも1度目の2009年のメタモルフォーゼが印象深く記憶に残っている。メタモルフォーゼはその頃まだ伊豆のサイクルスポーツセンターで開催されていて、他にはゆらゆら帝国ビル・ラズウェルのメソッド・オブ・ディファイアンスタンジェリン・ドリーム、アフリカ・バンバータ、プレフューズ73、ジャムバンドロータス、レイ・ハラカミなんかが出演していた。今思えばとっても豪華。ムーディーマンはたしか夜中の3時過ぎくらいから、少し丘を上ったところにある会場の最深部にあった暗く小さな広場でDJをしていた。当時まだムーディーマンの音源を聴いておらず、「ドス黒い音楽をやるハウスDJ」くらいにしか認識していない若かったおれだが、たったそれだけの認識であるが故に期待値は高く、息を切らして足場の悪い坂道を登っていったのを覚えている。印象深かったのはちょうどその年はマイケル・ジャクソンがなくなった年で、ムーディーマンは曲と曲の合間に長々となにかを喋った後に『I Wanna Be Where You Are』を掛けていたこと。そこから(記憶が定かなら)デ・ラ・ソウルの『A Roller Skating Jam Named "Saturdays"』を繋げていて、決して多くはない広場の人間たちは熱狂していた。当然おれも興奮し恍惚とし陶酔していた。人の顔も認識できぬほど暗い野外の広場で永遠に続くような四つ打ちと儚いポップソングにただひたすら身を任せて踊る快楽。決してブラックミュージックに明るいわけではなく、モッズ経由でモータウンや古いソウルミュージックを聴いたり、ほんの数枚のヒップホップを聞き齧っただけの人間だったが、ブラックミュージッのクールに対する憧憬に応えるものすべてがそこにあったように感じていた。それだけ素晴らしかった。以来、自分にとってブラックミュージックと言ったら何をおいてもムーディーマン、なのである。

前置きが長くなってしまったが、そんなムーディーマンのミックスCDが本作『DJ-KICKS』である。他人の曲をエディットして作るミックスCDというフォーマットの性質上、オリジナルで出す音源とは一味違ったものになっているが、やっぱりムーディーマンはムーディーマン。ひたすらに苦くて甘くて、そしてクールだ。ミックスCDを聴くときに着目する点はふたつあって、ひとつはどんな選曲がされているのかということ、もうひとつはそれらがどのように編集され繋がれているのかということである。選曲という点について言えば、前半は特にジャズやダウンテンポ〜ミドルテンポのソウルミュージックが多く選曲されており、ハウスミュージックのDJとしてのムーディーマンを想像していると少し意表を突かれるが、それらの黒くてスモーキーな耳触りはムーディーマンならではとしか言いようがなく、不必要に攻撃的な音像や早すぎるピッチと言った昨今の悪しき風潮とは真逆を行く選曲にひたすら唸らされる。端的に言って、上品で(繰り返しになるが)クールなのだ。正直に言って今回選曲されている中で知っている曲や知っているミュージシャンはほとんどなかったのだが、全30曲のオリジナル音源に当たってみたくなるほどどれもこれも本当にかっこいい。それだけで「買い」であることは間違いないのだが、もちろんそれだけでない。これまた無知を晒すと、おれはDJのギミックに関してはほとんど何も知らないに等しいのだが、聴いていてそれとわかるようなフィルターの掛け方や曲の繋ぎに恍惚とさせられる瞬間が何度もある。ギミックに関して何も知らなかったとしても「DJ」がどんなことをやっているのかを何となく想像させられる音楽とでも言ったらよいだろうか。耳をこらしてじっくりと聴いていると、いつしかまるでムーディーマンの視座に立ったかのような不思議な感覚を味わうのである。これは自分にとって音楽を聴く上でかなり重要で、なぜなら例えそれが幻想であったとしても「新しい視座を得た=新しい世界が開けた」という感覚が音楽を聴く醍醐味となっているといっても過言ではないから。「知識を得る」ということとは異なる「気づき」の感覚。

とっ散らかってしまったが、とにかくムーディーマンの『DJ-KICKS』はやばい。「選曲し提示するだけ」のDJという行為の奥深さを知りたければ、とにかく聴いて欲しい。あなたもきっとDJがやりたくなるはず。おれはいま、DJになりたい。

 

DJ-KICKS [帯・日本語解説付国内仕様盤]

DJ-KICKS [帯・日本語解説付国内仕様盤]