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音楽のユートピアへの誘い 菅井協太『y533』

music

y533

 

階下では父親がつまみをつつきながら酒を飲み、母親は台所で食器を洗い、妹はソファーに寝転がりながら携帯をいじってときどき付けっぱなしのテレビに笑い声を上げている。田舎の二階建ての一軒家の自室で、自分は電気を暗くして音楽を聴いている。眠るわけではないのに電気を消して音楽を聴くことが習慣になったのは、おそらく暗くしていた方が深遠な「なにか」に近づけるから。明かりを暗くして音楽を聴くことが眠る以外の唯一の現実逃避の方法。その後に現実逃避として音楽を聴くことに何となく後ろめたさを感じるようになって、部屋を暗くして音楽と向き合うというような聴き方はほとんどしなくなったが、菅井協太の『y533』を聴いて久しく感じていなかったかつての気分を懐かしく思い出したのだった。

lampのレーベル、ボタニカル・ハウスから菅井協太さんのニューアルバム、『y533』がリリースされた。三枚目のアルバムとなるようで不勉強ながら彼についてこれまで知らなかったのだが、染谷さんがツイッター上で紹介していたアルバムのトレイラーを観て一発でノックアウトされた。

 

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このアナクロな音像と世界観、2016年の新譜であることが俄には信じがたい。○○のような音楽、あるいは○○と○○を足して二で割ったような音楽、あるいは○○と○○と○○を足して三で割ったような音楽、あるいは…と、折衷主義でセンスを競うことが多い昨今の充実しているとも飽和状態とも言える潮流の中で、菅井協太の音楽は明らかに異質である。時代のモードとは関係なく自分とその個人史に向き合った孤独な営みとしてのこの音楽は、不意討ちのように多くの人を郷愁のまどろみの中へ誘うことになるだろう。

染谷さんによる宣伝文句は「The Velvet Underground & Nicoの後に聴いても、全然負けていない」というもの。確かに菅井協太のダウナーな空気に満ちたこの音楽はウン十年前にどこかの外国の地下室で孤独に録音された音源が発掘されたような雰囲気が漂っている。その歌声は古い映画の中の場末のシャンソンシンガーのもののようであり、あるいは 30年代に録音されたビリー・ホリデイの歌声のようにも聴こえる。他にも色々な音楽や映画の記憶を想起させられるのだが、この音楽はとにかく今の自分の暮らしているところからは時代も場所もどこか遠いところから届けられたもののように感じられるのである。

 

全編英語詞で歌われるこの音楽が一体何を歌っているのかとても興味があるが(歌詞カードは付属されていない)、初めて外国の歌を聴いたときのように歌詞のことすら気にかけないまま、ひたすらにこの音楽に身を委ねるのもいいかもしれない。

 

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