最近の収穫(9月前半-②)

プライマル・スクリーム『エクスターミネーター

エクスターミネーター

エクスターミネーター

ディスクユニオンにて捕獲。唐突に聴きたくなって廉価で購入。当時聴いていたときの印象はとにかく「うるせえ! 」というものだったが、それから15年以上の時を経た今の耳で聴くと、より細部に耳がいくようになりとても新鮮。ロックがエレクトロミュージックに接近したらどうなるか、という今となっては陳腐な命題に対して、レディオヘッドとはまた違った仕方で道を示したひとつのモデルのような音楽である。一曲目の『キル・オール・ヒッピーズ 』におけるベースラインの格好良さに悶絶させられてから、ケヴィン・シールズの轟音ガレージノイズギターが爆発する二曲目に雪崩れる流れは完璧。その後の楽曲群も、あくまでもロック軸足を起きながら、例えばエレクトリック・マイルスであったり、カーティス・メイフィールドのファンクであったり、ジャーマンプログレを経由したトリップホップであったり、ミュージックコンクレートであったり、様々な要素を聞き取ることができる。プライマル流の騒音的ダンスミュージック到達点。今このプライマルの骨太な試みを受け継いでいるロックバンドはあるだろうかとしばし考えてみても、俺の知る限りは出てこない。


北杜夫『ぼくのおじさん』

ぼくのおじさん (新潮文庫)

ぼくのおじさん (新潮文庫)

和田誠による可愛らしい装丁が目を引く北杜夫の子ども向けの一冊。11月に山下敦弘により映画化される予定。『ぼくのおじさん』と言えばジャック・タチのユロ伯父さんが有名だが、北杜夫によるこの「おじさん」もユロ伯父さんに優るとも劣らず魅力的である。その言葉を信じるならばおじさんはどうやら週に8時間だけ大学教員として哲学を教えているらしいが、その間抜けな生活を見るにつけどうやらそんなに立派な者でもないらしい。兄の家族の家に寄生するおじさんは万年床で寝転んで思索に耽り、義姉に文句を言われても何かにつけて屁理屈を捏ねてやり過ごす。子どもにお土産が欲しいとせがまれれば、おもちゃのムカデを机に置き土産にして、驚く子どもを見て子ども以上に子どものように大はしゃぎ。よもや自分の周囲にいたら迷惑極まりないどうしようもないおじさんである。そんなおじさんのどこが魅力的なのだろうかと言えば、それは一重におじさんの大人になることを放棄した清々しさとその哀愁にあるだろう。例えば上に挙げたような子ども相手の大人気なさとは対照的に、おじさんはどうも大人が苦手であるらしい。このどうしようもないおじさんに相手をみつけてやろうと周囲が画策した結果、おじさんは見合いをすることになるのだが、見合い慣れしたふてぶてしいお相手はここぞとばかりに出される菓子やら果物を食い漁る。そんな女を前に居心地が悪くしてたじたじになってしまうおじさんの姿は哀れとしか言いようがない。その後にその様子を見ていた子どもに虚勢を張る姿はまさに哀れな内弁慶であるのだが、そんな姿になぜだかちょっとした共感もしてしまうのである。
中年の半ニートを主人公にした子ども向けの物語が今の時代に成り立つのだろうかと考えると、昭和という時代の寛容な側面に想いを馳せずにはいられない、そんな一冊である。