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小袋成彬 "分離派の夏"

 

分離派の夏

分離派の夏

 

宇多田ヒカルプロデュースによるシンガーソングライター小袋成彬のデビューアルバムは、内面からこぼれ落ちる想いが結晶化した、極めて私的でありながら極めて普遍的な一枚。

フジロックレッドマーキーでのパフォーマンスが素晴らしかった小袋成彬のデビューアルバムをここのところずっと聴き直しており、発売された時にしっかりと聴きこんでいなかったことが恥ずかしくなるくらい、その充実した内容に打ちのめされている。このアルバムが新しさはR&Bの体裁を取っていながらも、その質感や歌われている内容はフォークソング的とも言える極めて内省的で私的なものになっている点である。日本のR&Bは「歌唱力」がその音楽の良し悪しを判断する尺度となっているようなきらいがあり、長年積み重なってきたそうした土壌のようなものが自分を日本のR&Bから遠ざけていたのではないかと思っている(自分のステレオタイプかもしれないが)。だって、歌唱力があったってその音楽がおもしろいとは限らないじゃん・・・と。その点、この一枚は違った。たゆたうようなファルセットボイスを駆使しながら歌い上げるスタイルは、多分にソウルフルでありながら、ステレオタイプな従来のR&B的な歌唱とも異質であるように感じられる。同時にヴァース部分で随所に聞こえる内面を訥々と吐露するポエトリーリーディングに調子をつけたような歌唱は、私的な歌詞の内容とあいまって強く胸を打つものとなっている。そこで歌われるのは、失恋であったり、友人の死であったり、妹の結婚式(で何も言葉出てこなかったこと)であったりと、その多くが自分と世界の断絶とそこから浮かび上がる感情についてであるが、そうした簡単い掬い上げることができない感情が、時に異物感が感じられるような言葉が選択されながら、情景として切り取られ、本当に上手く表現されており、大袈裟に言ってしまえば、歌詞を追いながら聞いていると、まるで作り手の内面に入り込んでしまったかのような感覚になる。そうした感覚を持つのはこのアルバムが極めて私的な題材が扱われている内発性の高い作品であるからで、優れたソングライターの楽曲が得てしてそうであるように、極めて私的であるが故にそれぞれの楽曲は普遍的な響きを持っている。

このアルバムにはオープニングとインタールードで小袋のそれぞれ異なる友人による語りのトラックが二つ収められている。これを蛇足とする声もあるようだが、それぞれのトラックはこのアルバムにおいてとても重要であるように思う。それは、「彼らが語っているのが、100%同意ではないにしろ、僕のことにしか思えなかった」*1と小袋がインタビューで話しているように、他者の語りを借りながらも小袋自身の世界に対する姿勢を示しているように思えるからである。そこで語られているのは、ひとつは芸術家が作品を残す必然性について、もうひとつは「会社を辞めてモノを作らなければいけない」と決心をしたときの具体的なエピソードであるが、異なる二人の語りでありながらも、それは誰にでもありえたかもしれない体験としてパラレルのように響く。極めて私的な題材を扱われた作品の中でこうした「他者の語り」を導入することで、その世界は一層広がりを持つ。そして、(これは作り手の意図するところではないかもしれないが)翻って自分はどうなんだと投げかけられているような気分になるのである。そうしたことを思わされる作品は稀有であり、そこにこそこの作品の普遍性があるように思う。